星が降り注ぐ午前2時 ④

<シオリ:今日時間ある?>
<ナオ:今日は厳しい>
午前に送ったメッセージへの返事が来たのは13時を過ぎた頃だった。
彼と私の関係は年の差があれども基本的に対等だ。
敬語もない。車に乗せてもらうときも私は免許を持っていないからガソリン代を渡した。
食事に行ってもきちんと割り勘。それは一夜を過ごすホテル代も。
そうしたのは私だった。
彼は「俺が出すからいーよ」って言ってくれたけど、付き合っているわけでもないし彼に貢いでほしかったわけでもなく、奢られる理由がなかったから自分の分はきちんと支払うと伝えた。こういう細かいところが嫌なら連絡切ってくれていい、とまで言うと不思議なことに彼は大爆笑しながら「わかった」と答えていた。
<シオリ:そっか!お仕事がんばってね>
ありきたりな文面を送信。

そうだ。12時間前まで一緒にいたのだ。午前2時、私を家に送り届けたあと、彼は自宅へと車を走らせただろう。
抽象的な地名しか聞いてないから具体的にどれだけの時間がかかるかはわからないけど、少なく止まる私の家から彼の家まで1時間はかかることだろう。
夜遅くなっても彼は絶対宿泊せずに帰宅する。私を家の近くまで送り届けてくれるし、その流れでうちに上がり込もうともせずに帰宅していく。割り切った関係だからこそ、プライベートへの侵入は最低限のボーダーを守ってくれている。マンションの前ではなく、近くで降ろしてくれるのもそういうことなんだろう。
昨晩会ってたしなー…
そりゃ今日は厳しいって返事くるよなぁ。
……新しい人、探そうかな。でも、なんか、あの社畜がいいんだよなぁ。
さいしょのおとこ。

だから、やっぱり特別感という情が彼にあるのだろうか。
………こんなだから、私は今も恭介さんにほだされているのだろうか。

人生で初めて自分から告白して付き合えた、男の人。はじめてって響きが情をしとしとと浸らせている。
ぼんやりと思い浮かべていると、手元のスマホが振動しだす。
画面を確認すれば、<着信:ナオ>の文字。

うわっ
「もしもし?」
≪よお、どうしたんだよ≫
即座に通話ボタンをタップするとスマホ越しからナオの声と、遠くから車の走る音、人が行き来する足音が聞こえる。
外回りとかの帰りかな。
「や!ごめん、なんでもない。昨日遅かったのに、突然ごめんね」
≪……≫
ほんと。なにやってんだ。
向こうは社会人で、彼氏でもなくて。
そうだ。
私がほしいとき、ほしい言葉を言ってくれる存在ではない。ギブアンドテイクの関係。なにを甘えようとしてるんだ。
≪しおりぃ≫
「…なに」
≪俺がなんで、午前3時帰宅後シャワー入って3時間睡眠とって出社して朝から外回りいって相手先に媚び売ってようやく昼飯食えるってときにわざわざおまえに電話したと思ってんだ≫
「え、」
≪今からシリウスに来い。もちろん、おまえの家の一番近くの≫
「え?!!!」
私の返事を聞かずに通話は途切れる。
なんで。
彼が指定したシリウスは全国展開をしているカフェチェーン店で各地にある、が。
私の家の一番近くって、1か所しかない。
なんでこんなところにいるの、って。そっか外回りの帰りなら、取引先がこの近辺って可能性はあるか。そういえば彼の車に乗せてもらったとき、この周辺を迷うことなく走行していた気がする……
荷物を持って、彼の指定したカフェへ足を運んだ。
―――私の家の近くの店舗が、大学最寄りの店舗であるという思考にたどり着く前に。


そのことに気づいたのは店にたどり着いて、彼よりも先にもっと見知った顔を確認してしまったときだった。
この気温ががくんと下がった11月下旬に、テラス席で学科の友達と楽しそうに会話を楽しむ、みなみの姿。
あーもう……今日は朝から、なんで、メッセージ未読状態の人々と会うのか。
レジで注文をしてから好きな席で時間を楽しむセルフ形式のカフェだから、みなみに見つかるより先にオーダーを済ませてナオのところに行けばいい。なんならオーダーせずにナオの元へいけばいい。
ナオにメッセージで居場所を確認する。
<ナオ:店内、テラス側のカウンター席>
どこだろ、って思って見渡せば、タイミング悪くみなみのすぐ近く。
<シオリ:すぐ近くに大学の友達いるから、外に出てこれない?>
<ナオ:社会人の昼休憩をなめるな>
<ナオ:おまえが来い>
うっ、ごもっとも。
連投で返ってくるメッセージにぐうの音も出ない。しかも私からの連絡がきっかけであれば、これ以上わがまま言う権利はない。
レジですぐ用意してもらえるホットコーヒーをオーダーして、彼のいるカウンター席へと急ぐ。
みなみがこの時間にここにいるってことは今空きコマだろうからしばらくはテラスでお喋りを楽しむだろう。
お喋りがお開きになる前に私が先に退店すれば、問題ないはず。
「ナオ、」
彼に近寄って声をかければ、このカフェの看板メニューのチキンドックを頬張りながら彼はこちらへヒラッと片手を挙げた。
あ、スーツ。
見慣れないネイビーのスーツ、バーガンディーのドット柄ネクタイ。黒色の革靴もきれいに光沢を放っているし、いつも見かける夜のボサついている髪もワックスで丁寧にセットされている。
いつも会うときと違って、オンモードの彼。
……このひとも社会人なんだ。
きちんとしているところを初めて見るから、なんだか変な感じ。
「ごめんね、仕事なのに変な連絡しちゃって」
「ほんとに。おまえいい度胸してんな」
「うっ、無視してくれてもよかったんだよ」
「あー まあ、そうしようとは思ったんだけど、」
マグカップで提供されたホットコーヒーを一口啜って、彼はこう続けた。
「割り切り上手なおまえからこんな昼に連絡くるってことは、おまえにとって必要な連絡だったんだろ?」
マドラーを動かしていた私の右手がゆっくりと止まった。
「……なんで」
「おまえから連絡くるときはきちんと俺の退社時間後だからな。あと俺に一切奢られない対等性なところを見ると、そりゃ分かるだろ。俺とシオリの仲じゃん」
「……そうだね」
どうしよう。
なんで、こんなに泣きそうなんだろう。
私、無視してくれていい存在なのに。仕事の休憩に時間つくってくれたこと。そんな風に見ていてくれたこと。
―――――すごくうれしい。
「バーカ」
私の表情を見てか、知らずか。
慣れた手つきで私の肩を抱き寄せて。
「連絡くれた理由は聞かねぇ。その分この昼飯は付き合え」
「…うん」

あー、もう。居心地いいなあ。

パッと手を離すと残りのチキンドックに手を伸ばすナオの姿を見て、心は軽くなるが、頭はそうもいかない。

頭から離れない、遭遇した今朝の言葉。
“メッセージ、送ったんだけど。まだ見てない?”
“去年の夏、ひどいことした。ごめん”
“俺、本気でおまえのこと好きだったんだよ”
“みなみとは別れる”
“もう1回、やり直してくれないか?”

ぶっきらぼうな彼が私に向き合って、言葉を振り絞ってくれた。

終わった話がごちゃごちゃと糸を絡め合う。
「――――あれ、栞じゃん」
二口目のホットコーヒーを、喉に通す直前。
呼ばれたくなかったそれに、気づかれてしまった。
「……」
肩につくくらいのモカアッシュのストレートな髪、白色のニットに、スキニージーンズ、ブラウンのレースアップブーツは7cmほどの高さを備えている。
視線だけ、彼女に向ける。言葉は発さない。彼女の出方を伺う。
「ねえ、恭介から連絡きた?」
私の記憶の端にいる彼女は彼のことを"きょうくん"と甘い声で呼んでいた。それが今、挑発的な声色で彼の名を呼び、躊躇なく話題を振られる。
「……知らない」
せめて隣のナオを巻き込まないように、彼は他人だという態度で、しらを切る。
「じゃあ私のメッセージは?今見ても、既読ついてないじゃん。そこにスマホあんのに」
器用に右手でスマホを操作して。証拠にほら、と言わんばかりに自分と私のトーク画面を見せる。左人差し指は、テーブルに置かれたホットコーヒー横に投げられた、私のスマホを指し示しながら。
「……時間がなくて、今見ようと思ってたの。ごめんね」
形だけの謝罪。早く、早くこの場からいなくなってくれ。
「じゃあこっちのが早いから今言うけど。」
右手にあったスマホジーンズの後ろポケットにしまい込み、彼女の視線を全身が受ける。
「恭介、返してくんない?」
「…、は?」
身に覚えのない言いように思わず素の疑問がこぼれてしまう。
「あの人にあんたが忘れられないから別れてって言われたんだけど。ねぇ、付き合ってたんでしょ?わたしが、恭介のこと好きだってずっと言っていたの、しおりは知ってたのに?」
グサグサと、心をえぐる鋭い言葉。
そんなの知らない。
付き合っていたのだって、1か月だった。
なんならあなたのほうが私より長い時間を彼と過ごしているじゃない。

「ねぇ、なんとか言ってよ」
「っ、……」
言葉が、でない。
否定したいのに、そんなの知らないと言いたいのに、目が怖くて何も言えない。彼女の瞳はトラウマを集約している。
「あのさ、」
振ってきたのは、私の隣からだった。
「……だれ、あんた」
「喧嘩するなら勝手にすればいいけど、ここ、お店だから。俺みたいに仕事の昼休憩で立ち寄ってるオトナもいるわけ」
「……だからなに」
「休息時間に隣でガキの男絡みの喧嘩を繰り広げられたら、胸糞悪いっつー話。それ、飲み終えたならさっさと出て行って」
ナオが聞いたことのない声でみなみを威嚇する。
唸るような低いテノール。このひと、こんな声も出せるの。
「……っ、ガキじゃないっつーの!しおり!場所、」
「この子まだコーヒー残ってるじゃん。残して出てこいなんて、店に失礼なこと言わねぇよな?オトナならさ」
「っ……! しおり!メッセージ返してよね!!!」
カッとなったみなみはそんな大声を残して、手にしていた紙カップを店員さんに押し付けて慌ただしく出て行った。
「……ナオ、」
「おい俺らも出るぞ」
「え、」
コーヒーが残っているからという理由で店内に留まらせてくれたくせに、なんて矛盾だ。

ナオが本気で帰り支度を始めるから急いでマグカップに残ったコーヒーを流し入れる。
「このあと授業は?」
「……1つあるけど、出席とらないし学校戻りたくないから家帰る」
「じゃあ近くまで送ってやる。俺も外回り終わって昼食べたら帰社するだけだったから、ついでだ」
ナオがマグカップの乗ったトレーを返却する際に「大丈夫ですか?」と店員さんに声をかけられる姿を見て、店内の視線が私たちに集中していたことに今さら気づいた。

「お騒がせしてすみません」
まったく無関係な彼にそんな謝罪を言わせてしまって、言葉が出ないうちに促されるまま、助手席に乗せられる。

営業車なのか夜に見かけるものとは違うけど、こんな明るいときに彼の隣に乗るなんて思ってもいなかった。
彼は手際よくエンジンをかけて、迷いなく発車させる。
「シオリ」
「、なに」
「気が変わった」
「なにが?」
「今晩空けとけよ」
「……今日は厳しいんじゃないの」
先ほどの答えを思い返す。
だからこのお昼に時間をくれたんじゃなかったの。
「そりゃ昨晩は睡眠じゃなくて仮眠だったからな、今日はぐっすり寝たかったわけ」
あ、……そっか。彼が連続で会わない理由の1つを少し垣間見れた。
「だから今日は泊まりの準備しとけよ」
「えっ」
ナオは絶対わたしとはお泊まりをしたことがなかった。
昨日のようにどんなに遅くなろうが、必ず私を家まで送ってくれた。
「まあ、今日はシないけど。眠い」
「……じゃあなんで。ナオが私と会う理由ないじゃん」
「あるよ」

即答だった。
気楽だから、目的が単純だから会ってくれていると思っていた。だからそれをなしで会う選択はないと思っていた。

「あるって、」

どんな理由?―――と続くはずだった言葉は無機質な機械音で憚られる。

鳴り止まない機械音の正体を手に取り、赤信号のタイミングで彼はスマートフォンの画面を確認する。

「悪い、仕事の電話だわ。ちょっとそこのコンビニ停めて話していい?」

「あ、うん……」
だからここで彼が即答する理由がこのときは分からなかったのだ。