彼女のヘッドフォン 【おまけ】

 

彼は、いつから私をトクベツだと感じていてくれていたのだろうか。

「ひまり、こっち」

「あー!あだっちゃん!!」

季節が巡るのは早いもので、気づけば4年生になっていた。

3月に就職活動も解禁され、学校にいる時間よりも説明会や選考のために企業に赴く時間のほうがはるかに増えた。

今日も選考帰り。だが、いつもと違うのは同じ就活生である彼氏と久しぶりに夜デートの日だ。

待ち合わせの駅で下車すると、彼は改札を出てすぐのところで先に待っていてくれた。

「待たせてごめんね」

「や、俺のがここまで近いから当たり前。選考おつかれ」

ふと微笑む彼はスーツを着ていることもあって普段の7割り増しかっこいい。……いや普段ももちろんかっこいいけどね?見慣れない姿ってふいをついてくるからドキッとする。

「あだっちゃんも今日は就活?」

「そうそう。俺は説明会2件だけだから、選考だったひまりより気持ちは軽かったかな」

「そっかーー でも説明会ハシゴするのも身体的につらいよねーー」

着慣れないスーツ。話し慣れない敬語。学生の日常にはないマナー。

解禁して早1ヶ月。就職活動という言葉だけを聞いてストレスを感じる日々。

「早く就活終わらないかなあ」

ぽつり、と本音が漏れる。

私だけじゃない。彼だって同じ気持ちを少なからず抱えている。

でも、彼はそれを表に出さない。

このつらい気持ちは私だけじゃない。のに、卑屈になってくる。

大学では当時好きだったバンドがきっかけで軽音部に入った。中学・高校とバスケに明け暮れていたとき出会ったバンドがきっかけだった。

大学の専攻は英米学科で英語や多文化を学んできた。留学は結局しなかった。学科の強みは在学留学だったのに金銭的事情で諦めた。

“どうして?”

「ひまり?」

彼の声にハッと我に帰る。

辺りはワイワイと賑やかな声が聞こえる居酒屋で、目の前に座る彼は生ビールのジョッキを片手に。私の右手にはジンジャーハイボール

あれ、いつの間にお店入ったんだろう。

「あ、ごめ、ん。気にしないでー!元気だから!」

あはは、と笑い飛ばすけど、ジッと見つめられる視線に、思わず逸らす。そうすると、彼から一言。

「はい、ダウト」

手にしていたジョッキをテーブルに置き、彼は先ほどアルコールと共にテーブルにきた枝豆に手をのばす。

「今日、やなこと言われた?」

そして、核心をついてくる、と。

「っ?!」

私の瞳にぶわっと溢れた涙を確認した彼はさっきまでの飄々とした態度から一変、わたわたと手を無造作に動かし戸惑いを表現する。

「あだっ、ちゃん…どーしよ私就職できない、かも、….っ、」

「なに?選考でやなこと言われたの?」

「“どうして?弊社のこと誤解していませんか?”って、今日のやつすっごい圧迫面接だったの〜〜」

「…あー、ね」

私だけじゃない。私だけじゃない、のに。

「そんな深く考えなくていーよ」

「え、」

「自分の将来のことだからそれで対極にまったく考えないってなるのは違うけど、でもこれ、1つの選択肢として考えておいて」

そう言うと彼はリクルートバッグをごそごそと漁り、目当てのハンカチを発見した後、こちらを向きなおる差し出す。

「これからどうなっていくかは俺にもひまりにも分からないし、なにより絶対卒業できる保証も今はないけど、でも俺はひまりとの将来も考えて就活してるよ。だから、俺のとこに永久にってのも、考えておいてね」

「っ、え、それ、って」

「直接的な言葉はまた数年後な。今こういうこと言うのはずるいと思うけど、今の俺にはまだ“絶対”って環境は持ち合わせていないから、---私の将来性、成長率に是非ともご期待ください」

最後だけ、面接チックになった彼にふはっと笑いが漏れる。

「なにそれーー もー笑わせないでーーー」

「せっかくの酒がまずくなるからな。まだ4月だぜ?笑ってこーじゃん。あそこの人事は見る目ないって上から目線でいこーぜ」

「そだね!!お祈りがなんだよ!!はいカンパーイ」

1年生のときから彼は私の芯までしっかり寄り添ってくれていて。

気づいたのは2年生の冬だった。気づけてよかったと思う。

今の私はすべて彼に支えられて出来上がってきたと、それだけは強く声を大にして言えるから。

彼のお嫁さん枠、埋まらないうちに、

私が採用されるといいなあ。なんてね。

 

 

 


.

.

.

「もー笑わせないでーーー」

って間接的プロポーズを笑って一蹴した彼女。

居酒屋にリクルートスーツで、意思表示の塊すら用意してなきゃそうなるか。

見てろよ、数年後。

待ってろよ、数年後。

今度ははっきりと、伝えてやるからな。

彼女のヘッドフォン ④【完結】

 

12月24日。クリスマスイブ。

クリスマスライブ当日。

機材設営から自分たちでやる軽音部。

午前から集合して、午後4時まで好きなだけ演奏する。

そのライブに、カイト先輩は現れなくて。

「よーーーっす!!!」

そう元気いっぱいに現れたのは、夜の飲み会が始まってからだった。

「カイト!」

「カイト先輩!!!」

温かく歓迎する同期や先輩たちを一瞥したあと、チラリと左隣に座るひまりに視線をやる。

彼女は俺の方は一切見向きもせず、かといってカイト先輩の方を見るわけでもなく、彼女の左隣に座る園香と仲良く烏龍茶を飲んでいる。

ひまりは酒に弱い。だから成人した今でも、飲み会の席でアルコールは飲まない。

「ひーまーりー」

――――そんな彼女を放っておかなかったのが、カイト先輩だった。

「……お久しぶりです、海斗先輩」

「え、なんでそんな他人行儀なわけ?」

あっけらかんとそんなこと言う先輩。

周りの緊迫感を感じずにけらけらと笑っているその顔を殴ってやりたい。

ひまりはといえば、じっとカイト先輩を見つめている。

「ひまり?」

そんな彼女の様子に気づいたらしいカイト先輩は、腰を低くして目線を合わせる。

「おかえりなさい」

「ん、ただいま」

淡々と告げたひまりの“おかえりなさい”に満足気なカイト先輩。

アメリカ、たのしかったですか?」

「ん?おお、たのしかった!おまえも1回行っておくべき!」

「……プレゼント、あるんです」

そう言って彼女がかばんから取り出したのは黒色のリボンで結われた赤色の包み。

「え、まじで?」

受け取った先輩は嬉しそうに開封する、が。

「……え、これ、おまえ」

中から出て来たのは、先輩が今も首元にかけている赤いヘッドフォン。

それとは違い、先輩が手にするのは少し傷がついた同じもの。見覚えのあるそれは――――彼女がこの半年、ずっと身に着けていたものなのだろう。

戸惑う先輩。ひまりは、じっとヤツを見つめたまま、言い放った。

「私たち、別れましたよね?」

「え、何言ってんの?」

ふざけたことを言う先輩。殴ってやりたい気持ちは―――隣の真剣な表情のひまりによって押しとどめられた。

「メグ、とは今も順調なんですか?」

次の瞬間、先輩の表情が固まった。

メグ、とは。誰が聞いても女性の名前だということが分かる。

軽音部一同からの視線を一度に集めているカイト先輩の顔は“どうして”と訴えている。

「“He is mine.”って先輩のアカウントからメッセージ来ましたよ。裸の男女の写真といっしょに」

「おまっ、」

「だからそのメッセージに別れましょうって返信しましたよね?白々しく彼女扱いしないでください。私はもう、先輩の彼女じゃありません」

すると、彼女は席を立ち、

「それじゃみんな!メリークリスマス!!」

それだけ強く言い残して、この場を出て行った。

話についていけない一同はぽかん、とした表情で。

当の先輩は真っ青な顔をしていて。

「カイト……どういうことだよ」

「おい」

参加していた先輩たちがヤツに詰め寄ったのを見届けて、俺は静かに彼女の後を追った。

 

 

「ひまり、」

居酒屋を出てすぐのところに彼女はしゃがんでいた。

こちらからは後ろ姿しか見えない。

「……あだっちゃん、私と先輩のことどういう風に聞いてたの?」

「……別れようってメッセージが来て、別れたって」

「本当はね、違うの。さっき言った通り急に全文英語でメッセージが来て、そのメッセージと一緒に、裸の金髪美女の横で気持ちよさそうに眠ってる裸の先輩のツーショット写真も届いて」

ふう、と一呼吸を置いて彼女はさらに続ける。

「でも私誰にも言ってないのになあ。その写真のことも、噂になってる別れようメッセージが来たことも。そりゃ落ち込んだけど、……私そんなに分かりやすいかなあ」

と、彼女は乾いた笑いを浮かべる。

「……ひまり、歩く?それともバイク乗ってどっか行く?」

ここにいて、またヤツが追いかけてきたら厄介だ。そう思って、俺はその二択を彼女に提示する。

「あだっちゃん飲酒運転はだめだよ~」

「おまえ、俺の隣にいたくせに何も見てないのか。俺は今日一滴もアルコールを摂取していません」

先輩のせいで、いつでもひまりを連れ出せるように今日は飲まないと決めてバイクで来ていた。隣でずっと烏龍茶で喉を潤していた俺に気づかないくらい彼女も気が張っていたのかもしれない。

「……じゃあバイク乗せて」

彼女の小さな声は一瞬で繁華街のクリスマスソングにかき消されたがそれをしっかり受け取った俺は彼女の手をとった。

そうだ今日は12月24日、クリスマスイブ。

適当に経由して走ってたどり着いたのは、ひまりの家の近くにある河川敷の公園。

「あだっちゃん、ありがとうね」

「いーよ、別に」

「ううん。クズ王にはいろいろ感謝してる」

「そこでクズ王言うなよ」

ふはっと笑う彼女。ようやく、いつもの彼女らしい笑顔。

「この前ね、あだっちゃんが外でやってるバンドのライブ、見に行ったよ」

「え?」

「高熱出した早瀬の代わりに行ったの」

「あー、あれか」

そういえば早瀬もそんなことを言っていた。

「私、そのライブで初めてあだっちゃんがかっこいいって思ったの」

「おい俺はいつでもかっこいいだろ」

「そうだけど」

え、そこで肯定するのか。

予想外の返答に狼狽していると、彼女はにやりと不敵に笑って見せた。

やられた……

「1年の頃からあだっちゃんの演奏している姿見てきてたけど、そんな風に思ったの、それが初めてで」

「……うん」

彼女がゆっくりゆっくり言葉を紡ぐのを、俺もそのペースに合わせて耳を傾ける。

たぶん、これは俺があのタイミングで告げた告白の返事に続くもの。

「さっき、先輩にヘッドフォン返したとき、すーーっごくすっきりして。それで、私が出て行ったあとに、あだっちゃんが誰よりも先に追いかけてきてくれて、嬉しくてね、」

だからね、と。こちらを振り返った彼女は俺の右手をぎゅっと握ると。

「私もあだっちゃんのこと、好きだよ」

―――――彼女は少し頬を赤く染めながら、ゆっくりと俺に告げた。

「……え、」

「ずーっとモヤモヤしてたけど帰国してくれたおかげでかなり気持ちの整理ついた!」

「え、?」

「だって、1年の頃からいちばん私の近くにいたのは、あんな先輩じゃなくてあだっちゃんでしょう?」

にこにこと嬉しそうに話すひまり。

“あんな先輩”という言い方にも少しのうれしさを覚えたが、

―――“いちばん私の近くにいた”

その言葉が、何よりも嬉しかった

「……いーのかよ、こんなクズ王で」

「いーのかよって先に告白してくれたの、あだっちゃんなのに」

「いや、うん、でも………な?」

「ふふ、ベース弾いてる姿かっこいいからよし」

「…じゃあベース弾きまくる」

「弾きまくってたらクズ王になるからダメ」

「どっちだよ」

「……とりあえず、」

小さな声で、本当に聞き取れるか聞き取れないかの境目の声でぼそりと呟いたひまり。

……聞こえないと思ったかよ。

「ーーーーー好きだよ、ひまり」

彼女の左手を引き寄せて、小さなご要望に沿って彼女を抱きしめてやった。

 

 

 

『彼女のヘッドフォン』

 

 

 

 

 

「……クリスマスプレゼント何がいい?」

「えー 好きな女の子に用意してないのー?」

「振られるかもしれないのに用意できるわけないだろ」

「ふふふ……うん、そうだなあ。オレンジ色のイヤフォンがいいなあ」

「だろうな」

 

彼女は昔から赤いヘッドフォンではなく、

オレンジ色のイヤフォンがお気に入りだ。

 

 

 

Merry Christmas !!

彼女のヘッドフォン ③

 

それは突然のことだった。

クリスマスの2日前。

「え?」

「は?」

そんな声が飛び交う軽音部の部室。

主にそんな声を出したのは俺ら2年で、1年は何のことだとポカンとしている。

告げたのは引退した前部長。

「カイトが帰ってきたんだよ」

もう一度、同じ言葉を繰り返した。

「しかも今日。だから時差ボケは明日なんとかするから俺もクリスマスライブ行くって聞かなくてな……」

バッと辺りを見渡す。周りにはこの4限が空き時間で時間つぶしにきた軽音部のメンバー。

そこに、彼女の姿はない。

「いやいやいやいやマサト先輩。そこはちゃんと断ってください頼みますって、ひまりのために!!!」

片岡がマサト前部長に詰め寄る。

そうだ、カイト先輩とはひまりの元カレのことだ。

「俺も今年はやめとけって言ったらあいつ“ひまりに言いたいことあるから”って言ってさあ……俺にもどうしようもできない」

「いやいやいやいやどうにかしてくださいよマサト先輩いいいいいい」

「そうですよ、あの人散々ひまりを振り回して挙句の果てに終わりも適当だったんですよ!!?」

“ひまり”という単語で1年たちは納得したような顔に変わる。

ひまり先輩の元カレが帰国する、と。

実際カイト先輩と対面したことがない1年にすら、飲み会の席などを経由して彼女の恋愛話が伝わっている。

先輩からの突然のアクションに気が動転してどうにかカイト先輩を来ないよう説得させてとお願いする片岡含め2年の同期を横目に、俺は、

「いいんじゃないですか、来てもらえば」

そう淡々と告げた。

淡々と告げれたかはちょっと自信を持って言えないが。

そう告げた俺の方を一斉に見た彼らは――――――

「はあああああああああああ!!!?おまえな、ひまりの気持ち考えろや!!!カイト先輩だぞ!?カイト先輩だぞ!?」

「だから、それを部内に持ち込んだのはカイト先輩だけじゃなくひまりも同罪だろ。俺はひまりだけを優遇するのは違うと思う」

「おまっ……おまえがよくひまりとメシ行くから一番にひまりのこと考えていると思っていたのに……!!」

「いやでも一個人のために部総出で気を遣うのは違うでしょう。来れる権利があって本人も来たいと言ってる人を来るなって追い返すのも違うし。カイト先輩だって参加条件満たしてるんだし」

「……」

「まあ、たとえカイト先輩が参加しても俺がひまり囲っておくし、だいじょ……」

「海斗先輩?」

そこで乱入してきたソプラノに、ぴたりと言葉が止まる。

音をたてずに開いていた部室の扉の向こうには、カーキ色のモッズコートを着たひまりが驚いた顔で立ち尽くしていた。

……やばい、聞かれた。

部室内にいる全員が思った。これはやばい。

片岡はあわあわ言ってるし、マサト先輩はあちゃーという顔をしているし、他のメンツも戸惑っている。

そんな中、俺はひまりのほうに歩み寄る。

「そう、海斗先輩。今日帰国するんだって」

「……え、」

「そんで、あさってのクリスマスライブ来たいんだって」

「……そっかあ」

ゆっくりと状況を飲み込んだらしい彼女の返答は。

「うん、来てもらってください」

「「「ええ!!?」」」

部室内にいた俺を除く全員の声が重なった。

「え、いいの?」

マサト先輩が驚いた声を出す。

「はい、だってもう先輩と後輩ですし。変に気を遣わないでください」

「……」

震えた声。彼女の首元にはやはり、あの赤いヘッドフォン。

「ひまり、」

俺は名前だけ呼んで彼女を部室から連れ出した。

やらかした、とは思っていない。

いくら彼女のことを好きでも、これとそれは別だと思う。

あいつらはひまりに感情移入しすぎだ。

俺が一番感情移入しそうなのに、なぜこんなに淡々としているのか。

その答えは、一つだ。

「ココアとコンポタどっちがいい?」

「……ココア」

部室から少し歩いたところにある自動販売機で温かいココアを購入する。

「あだっちゃん、」

「なに?」

「ありがとう」

彼女から飛び出したのは、感謝の言葉。

「……感謝されるようなこと、俺してた?」

「してたしてた。特別扱いしないでくれてたとこが評価されています」

少し、声は震えているが笑ってみせた彼女。

「気づいてたから、変に気を遣われてるって。だから、あだっちゃんがああ言ってくれたの嬉しかったんだよ。私も一軽音部員なだけだから」

「それにしてはさっき泣きそ……あ、今も泣きそうだけど」

「あだっちゃんのやさしさが心に染みてるの!」

「そりゃどーも」

同時に自販機のボタンを押すとガコンと選択したココアが出てくる。

「ほい」

「ありがと……お金あとで返す」

「なんで。たかが130円いらねーよ」

「いやいや、されど130円」

「いやいやこういう優しさもあだっちゃんセットですから」

「……ありがとう」

開栓した温かいココアに口をつけたひまりはようやくいつものひまりらしい笑顔を見せた

「おいしい!」

うん。いつものひまり。

「ひまりー」

「うん?」

「俺さ、ひまりのこと好きだよ」

彼女の動きが止まった。

ゆっくりこちらを振り向いた彼女は目を見開いている。

「アホ面」

「えっ、いやだって……!」

急だし、ムードもなにもないし、まあ弱ってるとこに付け込んだ感じはあるけれど。

「別に返事は急がせないし。俺はひまりのおいしいもん食べたあとの表情がすげぇ好き」

「っえ、え???」

「カイト先輩が来るって聞いて言いたかっただけだから。そのヘッドフォン取る気になったら返事聞かせてよ」

戸惑う彼女の髪をくしゃりと撫でて、……名残りおしいと思う気持ちを少し感じながら俺はその場を後にした。

 

 

「……おいおいかっこわりーなあ」

部室とは真逆の方向へ歩いて行くと、そこで待っていたのは早瀬だった。

「覗き見かよ……」

「いやあ、部室がパニック状態だったから珈琲でも買いにいこうと思って来たらお邪魔したらいけない感じだったから」

「………」

「ついに、だな」

「先輩が帰国するって聞いて、焦って言った感はあるけどな」

そうだ。

先輩の帰国によって、またひまりの気持ちはヤツに傾かないか。

それが怖くて、俺は先手を打った。

ひまりのことを好きなやつは他にもいる、と伝えたかった。

あ、でも俺がこれを伝えてしまったことによってあからさまにひまりを囲うことができない……

「おまえにしちゃ1歩前進だろ?さあさあ、あさってどうなるかなーー!」

「……俺が知りたい」

あさってが、運命の日。

 

彼女のヘッドフォン ②

 

「……なんでひまりにあんなこと聞いたわけ」

今日のすべての授業が終わり、久しぶりに部室でベースに触れていると早瀬が声をかけてきた。

「おお、おつかれ」

「いやいやそれ質問の答えになってないから」

呆れた顔をした早瀬。

こいつは1年の頃から俺がひまりのことを好きだって知っている。

「俺、学祭のとき言ったじゃん。別れたらしいよって」

「いやいや早瀬もどうせ噂の又聞きだろ。こういうのは本人に聞いておかなきゃ俺は納得できない」

「………」

返事をせずに、早瀬は俺の隣に座る。

「もう1つのバンドは落ち着いたわけ?」

「おー おまえが高熱で苦しんでいる間にライブは大成功で終わりました」

学祭後、俺は外部で組んでいるバンドのライブに向けてひたすら練習していた。授業が終わったらすぐライブハウス。時々、バンドメンバーの防音完備の家。

からしばらく軽音部には顔を出せていなかったし、早瀬とも部内バンドで同じなのにしばらく会っていなかった。

「ひまり、見に行ってたらしいよ」

「っ、え」

「つーか俺が行けなかったチケットひまりに渡した」

「早瀬……!」

「安達が途中ジャンプの着地失敗しそうになってたって笑ってた」

「……」

恥ずかしい。そんな姿見られていたのか。

つーか、

「ひまりからそんな連絡来てなかったけど」

「それは俺は知らない」

なんだよ。……でも、ひまりはライブの感想は直接言いたい派だ。

さっきの授業で久しぶりに会ったとき、そんな話題を振ってくれたのかもしれない。しかし俺が“意地悪”を言ったあと、彼女のテンションは明らかに下がっていた。

自業自得ってやつか……

「ひまりの機嫌とっておけよ」

彼女の変化に、さすがの早瀬も気づいていたらしい。

あれだけ分かりやすく落ち込んでいたから当然か……

――――ひまりと先輩は去年の今頃から付き合っていた。

俺が意識し始めたのとほぼ同時くらいに先輩がひまりを奪っていったから俺からしたら衝撃が半端じゃなかった。

けれど、先輩は前々から部内でも宣言していた通り、3年前期―――正確にいえば2年の3月から3年の9月までの半年間アメリカ留学に行くことになっていた。

それはひまりも承知していた。ひまりも、先輩も、英米学科。留学にも関連してくる学科だったからだ。学科が学科なので授業単位になる留学。休学扱いではない。

……ここからは俺も早瀬から又聞きした話だが。

最初のうちはひまりも先輩もこまめに連絡をとっていたが、次第にその頻度は減って行き。

しまいには向こうでの生活が充実していたらしい先輩が3か月留学延長を決めたのをきっかけにメッセージで“別れよう”と来たのが、2人の恋人関係の終幕だったらしい。

しかし、現状、付き合っていたときにもらったらしい先輩が持っていた赤いヘッドフォンとお揃いのそれをひまりがまだ使っているというところを見ると、彼女はまだ未練があるらしい。

そんなの、さっさと捨ててくれればいいのに。先輩なんか二度と日本に戻ってくんな。

―――なんて思う俺は、かなり自分勝手だと思うけれど。

「とりあえずひまりにメッセージ送るわ……」

「そうしとけそうしとけ」

早瀬の言葉に背中を押されてアプリの友達一覧から“まちだ ひまり”を探し出す。

≪今晩メシ行こ。奢るし≫

すぐに既読がついて、

≪いく!!!!≫

そんな返事が来たから多分俺の財布は今晩さらに薄くなる予感がした。

 

バイトがあると言って早瀬が帰り、一人になった部室で5限があるというひまりを待っていると、そろそろ5限が終わりそうな時間に園香が部室にやってきた。

「あれ、安達じゃん」

「園香。久しぶり」

ひまりと同じバンドでベースをやっている園香。俺と同業者だ。

「生きてたの?」

「かろうじて」

「ひまりに意地悪言ったでしょ」

「え、」

淡々と切り替わる話題。しかもひまりのことだ。

なぜ知っている……、ああこの5限の授業一緒だとか以前聞いたような気がする。

「あまりいじめないでよ。あの子に先輩の話はタブー。軽音部黙認のことでしょ」

「あー はいはい」

先輩たちもひまりと先輩のことは知っていて。別れ方も知っていて。

彼女の前でヤツの話はしてはいけない、という気遣いが生まれている。先輩たちもひまりサイドだ。

「今日いくら持ってんの?」

「おまえは話が変わりすぎなんだよ。いくらって、金?」

「そうそう」

「……万札はさっきおろしたけど」

「じゃあデザートも余裕で食べれるね。よかった」

「……園香も来るわけじゃねぇよな?」

「行くわけないでしょ」

バッサリ。その確認は一体何なんだ。

「アンタが外でベース鳴らしてたおかげで、ひまり最近ごはん食べてないのよ」

ひまりは一人暮らしだし、1年の頃から金がないときは絶食をしていてそれを知った俺はよく彼女を晩飯に連れ出していた。ヤツがいたときはそれはヤツの役目に代わって行ったが、向こうに行ってからもそれは俺の役目に舞い戻ってきた。

ひまりと食いに行くメシはうまい。好きなバンドもほぼ一緒だから話も弾むし、何より美味しそうにごはんを食べるひまりを見るのが好きだった。

「え?さっき会ったけど全然そんな感じしなかったけど」

「あの子今日ダッフルコート着てたでしょ。中身そこそこ痩せてるから。貧相なお胸がさらに貧相になっているから。だから鶏肉食べさせてやって。あと冷やしたらダメだからあったかいもので。お鍋とかいいね」

「なんでおまえが俺とひまりの今日の晩飯決めてるんだよ」

「お鍋だと野菜もあるしいいよね」

「聞けよ」

園香は表情に出づらい。しかも淡々と喋る。そのおかげでよく誤解されるのだが、ひまりと仲良くなってからは彼女のおかげで園香の表情はかなり柔らかくなった。

園香本人もそれは実感しているようで、彼女はかなりひまりのことを溺愛している。

「じゃあ、今晩ひまりのことよろしくね」

部室に置いていたベースを背負った彼女は俺に向かってそう言うとスタスタと部室を出て行った。

園香には俺の気持ちのことを話していないが、気づいてはいるのだろう。分かりづらいくせに人の動きにはとてつもなく敏感な女だ。

とりあえず園香が部室に寄ってきたということは、5限が終わったという証なのだろう。

ガチャリ。扉が開く音。

「あだっちゃーん、おまたせ~」

それと共にひまりが部室に入ってきた。

「おつかれ。メッセージくれたら門のとこまで行ったのに」

「ううん。ちょっと部室に忘れ物したから寄りたかったの」

がさごそとクリアファイルが並ぶ棚を彼女は探り始まる。

そうこうしていると、また扉が開く音。そのあと響いた声は同期たちのものだった。

「おー!安達じゃん!!ひっさしぶりだなオマエ」

俺に気づいた片岡が大声をあげる。相変わらずのデカイ声。さすがボーカルやってるだけあって声量がそこそこあるよなあ。

そんな片岡は学祭をもって引退した3年の先輩を引き継いでこの軽音部を引っ張っていく部長だ。

「安達は単位大丈夫なわけ?」

行く先々で単位の心配をされる。そこまで堕ちてはいない。休むときはちゃんと計算している。

「失礼な。俺ゼミとかはちゃんと行ってるよ」

「いやでもあんまり同じ授業で見ないし」

「……ライブ終わったからもう行くよ」

「あー そっか!おつかれ!」

確かにライブとかが立て込んでいた時期は行く授業もまちまちだった気がするが。

出席は大丈夫なはずだ。……あとでネットの出席表見ておこう。

「つーか安達に言ったっけ?」

「なにを?」

「今年のクリスマスライブ!と、そのあとのクリスマス忘年会!」

ああ、今年もそんな季節が来たのか。

「今年も学内のステージ借りるの?」

「そうそう~ クリスマスライブ用のバンドもあみだで決めるし、そのあとの忘年会も会費徴収しないといけないから出欠教えて」

「いやアプリでやれよ」

「やったけどおまえ反応してないじゃん」

「……」

言い返せない。そういえばなんか軽音部のグループ動いてたな……

忙しすぎて既読だけつけてたような気がする。

「今年は去年不参加だったやつらとかも参加するし!たとえば後ろでごそごそやってるひまりとか」

「あーはいはい。俺も今年参加で」

「よっしゃ!さんきゅー」

今年はひまりも参加するのか。去年はヤツとデートだったらしく、不参加だった。

「3年の先輩でくりぼっちな人も参加してくれるらしいし!」

「おまえ先輩の前でその単語使うなよ」

「あ、くりぼっち?大丈夫、俺はそこまで甘い男じゃない」

いや、詰めが甘い男だと思ってるから忠告しているんだけど。

「あっ、あった!」

すると、後ろからひまりの嬉しそうな声が聞こえる。

「何探してたわけ?」

「ピアノのクリスマス曲集~ せっかくだから何曲か練習しておこうと思って」

「かなり乗り気じゃん」

「せっかくだからね!」

ニコニコ楽しそうに楽譜を手にするひまり。嬉しそうで何よりだ。

「メシ行くか。鍋でいい?」

「えっ!あだっちゃん、なんで私が食べたいもの分かったの?」

……そういうことか。さっきの園香のあれはこういうことか。

いろいろさすがだ、あいつは。

「ちょっと距離あるし、バイク乗るけどいい?」

「いーよ!帰りもマンションまで送ってください!」

「はいはい」

言われなくてもそのつもり。

「安達ー!ひまりにたくさん鶏肉食わしたって!」

「片岡黙って!!!!!」

げらげら笑いながらそんな冗談を告げた片岡に見送られて、俺たちは部室を出た。

俺は実家通暮らしだ。二輪の免許も車の免許も長期休みを利用してすでに取得済みだ。だが、大学は車通学ができないので、寒い中でもバイク通いだ。

「はい、メット。寒いと思うけど我慢してな」

「うん。これくらい大丈夫だしいーよ。いつもありがとうね」

大学前にもファミレスは数件あるが、今回のメニューが鍋なだけあって少し離れたところにある繁華街に行かねばならない。いつもだったらその近くのファミレスで済ませるが、たまに遠出をするときはいつも彼女をバイクの後ろに乗せる。

「よかったー 今日スキニーで来てて」

「スカートだったら捲れるしな」

「そうそう」

「……あのさ」

「ん?」

彼女もバイクに跨ったのを確認して、小さく呟く。

「昼、ごめんな。無神経なこと言った」

「あ、いーよいーよ。そりゃ誰だって気になるでしょ」

明るく振舞っていた彼女は次の瞬間「あれだけ部内にも持ち込んでたから」小さくぼそりと声のトーンを低くして、呟いた。

「じゃあ気になるから聞くけど」

「うん?」

「連絡は?」

「もうないよ」

「でもまだ好きなんだろ?」

「んー……まあ、ちょっとはもやもやしてるかなあ」

「……そっか」

「新しい恋でもできたら違うと思うんだけどね!」

「へーえ。ほら、行くぞ」

彼女の両手を自分の腰に回させて。

「はーい!」

いつものことだから気にならない彼女を乗せてエンジンをかけた。

“新しい恋でもできたら違うんだけどね!”

そう告げた彼女の声は、少し震えていた。

 

 

彼女のヘッドフォン ①

 

彼女は今も赤いヘッドフォンをして、

ヤツの帰りを待っている。

 

 

着席している友人の後ろの席にドサッと荷物を下ろすとギョッと目を見開かれた。

「安達!!!!!」

それに加えてデカイ声で名前を呼ばれてそれがキーンと頭に響いた。

「うっせーよ……そうだよ安達デスケド何か?」

「いや“何か?”ってドヤ顔してんじゃねぇよ今まで何してたんだよ、クズ王」

「……」

何も言葉を返せない。そうだ俺はクズ王だ。

大学2年の後期。今は11月。しかも30日。俺は、この授業に初めて出席するからだ。

「初回休むと後もいいやってなるヨネ。しかも出席とらないって聞いたら余計行かないヨネ」

「いやいやいやいや。おっまえさあ、一応本業は学生だからな?ベーシストじゃねぇからな??」

そんな当たり前のことを早瀬に確認されて強気で言い返そうとしたが、やめた。

なぜなら今の俺には何を言っても説得力がないからだ。

「早瀬元気?」

早瀬としばらく会っていなかったことを思い出し、濃紺のチェックのマフラーを外しながら近況を尋ねる。

マフラーを出す季節になった。もう11月30日だ。今日で11月が終わる。

「この通りピンピンしてる」

「あの英米の彼女は?」

「別れた」

「やっぱりか」

「どういうことだよ」

よく短期間で彼女と交際してはすぐ別れることに定評のある早瀬氏の彼女事情はやはりしばらく会っていなかった間、俺が把握していた子とは別れて変化していたようだ。

「いつ別れた?」

「……10月頭」

「今彼女は?」

「いる」

「まじかよ、誰だよ」

「現社のナツミ」

「誰だよ」

「学祭のミスコンでグランプリだった子」

「あーあの可愛い子か」

学祭、ミスコン、グランプリという単語でピンと来た。

学祭は今月頭にあった。俺もステージ企画にバンド演奏で参加して後夜祭に発表があったミスコンの結果も存じている。

学科内でもすぐ別れることで有名な早瀬なのに、どうやってそのナツミを彼女にしたのか分からないが、まあ当人同士がよければいいか。

「安達は?おまえ、学校来ていない間なにしてたんだよ」

「俺学校来てなかったわけじゃねぇよ」

「は?嘘だろ俺おまえと久しぶりに会ったけど」

「学祭いたし」

「そりゃおまえと同じバンドで出たから知ってるよ。授業だよ、授業出てるとこ久しぶりに見たって意味」

「いやいやゼミとか必修は出てるし。おまえクラス違うじゃん」

「嘘だろ………あ、でもそうだな。おまえと一緒に授業ってこの授業くらいだもんな」

「そりゃ学部一緒でも学科違えばな」

ペンケース、と久しぶりに出るからと張り切って印刷してきたレジュメ。

レジュメは授業で配布型じゃなく、各自事前印刷型な授業はあまり好きではない。久しぶりにシラバス見たらこの授業の形式が後者だったから先ほど図書館で印刷してきた。

「むしろ今日はどうしたんだよ、何かあったのか?出席か?」

早瀬がそんな疑問を抱くのも無理はない。それくらい俺はこの授業に出ていなかったからだ。この授業に出席評価があったらもう俺は3回以上休んでいるからアウトだし、今足掻いても無理だ。それなら潔く諦めている。今日も来ていない。

「……別に。気が向いただけ」

今日は、会いたい人がいたから来た。

「え、あだっちゃん!!?」

そうすると、彼女の声が後方から聞こえてきて。

「……よお、ひまり」

「え!本当にあだっちゃんだ!!!」

絶滅危惧種と再会したような声をあげる彼女の首元には――――赤いヘッドフォン。原色に近い赤。ヤツが好きだった色だ。

「あだっちゃんどうしたの~ 久しぶりじゃん!出席が危うくなった?」

ひまりが荷物をおろしながら俺の隣に着席する。

彼女は同じ軽音部で、部内の女子4人で構成されるバンドのボーカルだ。稀にキーボードも担当する。そこで知り合った、彼女。

「出席あったら毎週ちゃんと出てるって。出席ないの皆勤賞のオマエ知ってるだろ」

「あ、そっか。じゃあ今日はどうしたの?」

「履修している授業に出席したらだめなのか」

彼女が言いたいことは分かっているがあえて意地悪を言う。

「いや!そうじゃなくて!!!」

「はいはい。おまえのアホ面を久しぶりに見に来たんだよ」

「ちょっとどういうこと!」

あはは、と笑う彼女。俺は嘘は言っていない。

久しぶりにひまりに会いたくなった。彼女と同じ授業はこれだけ。だから来た。それだけ。

「――――そのヘッドフォン、」

「えっ?」

ヘッドフォンに触れるとひまりの顔が強張る。もっぱらイヤフォン派だった彼女が春頃から使い続けている赤色のヘッドフォン。やっぱり、彼女にとってヤツの存在はまだ大きい。

「結構使ってるよな。前はイヤフォンがいいって言ってたくせに」

「あ、あー……」

歯切れの悪い返事をするひまり。前の席に座る早瀬からは呆れた視線。それでも彼が彼女をかばおうとしないのは、俺の気持ちを多少知っているからだろう。

「先輩から、もらったやつだし」

「……まだ付き合ってたっけ?」

意地悪な質問をしたと思う。けれど、俺にとってその事実確認は、大切なことで。

「―――――ううん、別れたよ。結局1年、向こうにいることにしたらしいから」

そのことは風の噂で聞いていた。それを知ったうえで、彼女にそんな質問をぶつけたのは意地悪だっただろう。

彼女が差す“先輩”は3月までは確実に付き合っていた、軽音部の3年生だ。

 

 

彼女のヘッドフォン

 

彼女の首元には―――赤いヘッドフォン。

 

原色に近い赤。ヤツが好きだった色だ。

 

 

『彼女のヘッドフォン』

 

彼女はまだ、ヤツに未練がある。

 

 

 

 

あらすじ

大学2年。好きな女の子は同じ軽音楽部の同期で、元カレから贈られたヘッドフォンを未だに愛用している子だ。

 

 

――

はるか昔に別名義でクリスマス企画に参加させてもらった際の短編です。

 

sss:標と決別

「別れよう」

 

記念日だった。

5年。

そんな淡々とした一言で、私の5年は散ってしまったのだ。

それに対してどんな返答をしたか、どのように荷物をまとめたのか、最後に彼がどんな表情をしていたのかまったく思い出せないまま、気づけば見知らぬ土地の見知らぬ歩道橋で佇んでいた。車の通りも少なくて、道路脇にて等間隔に設置されている街頭がぼんやりと道標となっえいる。

「はあーーー…」

深い溜め息が躊躇なく飛び出す。

どうしてこんなことになったんだか。

いつも通りのメッセージ。いつも通りの仕事終わり。いつも通りの彼の家。いつも通りの食事。に、なるはずだった。私が室内に入ると早々にその一撃だ。

なぜ。

二十歳からの5年間、私の隣には彼がいたし、それを知る友人らからは「式には呼んでね〜!」なんて催促まであった。

私自身も満更ではなかった。

5年間という月日があっても、終わる時は一瞬で、それを反故にできる。

1人になりたくないけど、この時間に呼びつけて来てくれるフットワークの軽い友達はみんな結婚や転勤で離れてしまった。

身軽な友達ほど、身を固める時は一瞬だ。

大学を卒業して3年も経つと自分の身を置く環境も変わる。取り巻く周囲の人間関係も変わる。

そんな中で、彼は。

「だいすきだったなあ……」

唯一、私の変わらない標だった。

社会に出てから変化の目まぐるしい3年で、変わらない唯一の存在だった。支えだった。嫌なことがあっても彼がいてくれる。彼に電話をして弱音を愚痴って最後には「大丈夫だろ」って背中を叩いて前進させてくれる。

私にはそんな存在だった。

私は、彼のそう言った存在になれなかったんだ。